前回までイェレヴァン周辺の観光・滞在となりましたが、今度はアルメニア北部の街ギュムリへ向かいます。
ギュムリは歴史的建造物や教会、そして黒いレトロな町並みが詰まった、他にはない美しい街です。一方1988年の大地震の被害を受けるなど、苦難の歴史もあります。
ギュムリは3日滞在(2日目は別の街を観光)しました。その様子を書いていきます。
BGM
- 1. イェレヴァン→ギュムリ
- 2. ヴァルダナンツ広場周辺へ
- 3. アボヴャン通り・リジコフ通り・クマイリ地区
- 4. 中央公園
- 5. 廃病院
- 6. アルメニアの母(ギュムリ)
- 7. 黒い砦
- 8. ガレギン・ンジデ通り、独立広場
- 9. 鉄の噴水
- 10. 夜のギュムリ
- 11. お食事
- 12. まとめ
1. イェレヴァン→ギュムリ
イェレヴァンからギュムリへは1日何本か鉄道が出ています。マルシュルートカでも行けますが、鉄道の方が速くて楽ですし、荷物も運びやすいと思います。
便に関しては、普通列車(エレクトリーチカ)と特急が運行されています。特急に関してはたったの2両編成と日本人の感覚だととても特急らしからぬ状態ですが、ギュムリまで停車駅無しで直行します。イェレヴァン駅へのアクセスは簡単で、隣接する地下鉄の地上駅「サスンツィ・ダヴィト」から徒歩で行けます。
イェレヴァン駅は有名なソヴィエト建築で、左右対処の古典的なデザインが特徴的。構内も美しいです。
駅前にはアルメニアのおとぎ話、「サスンツィ・ダヴィト」の英雄サスーンの像が建っています。
早速チケットカウンターでギュムリ行き特急のチケットを入手。ただ、後日利用するギュムリ発トビリシ着のチケットはギュムリ駅でしか購入できませんでした。
チケット購入、不愛想接客受けると思ってたのでちょっと緊張してたのですが、思ってたより愛想接客でした。ただ今回を除くすべてのチケットカウンターでソ連接客受けたので、運が良かっただけっぽい・・・。
早速鉄道に乗ります。
二両編成なので、本当にこれだけです。スカイライナー的な特急車両が2両だけなの、違和感がすごい・・・。
今回は7時55分発の便。運行数も相当少ないので、これを逃すと14時25分の便に乗らなければならなくなり本日の旅程が完全に崩壊してしまいます。見ての通り車両が少なくチケット完売の可能性もありますから、早めの到着をオススメします。
早速乗車口で切符を切ってもらったので、移動しましょう。
線路沿いの景色ですが、荒れた鉄道基地、廃墟、荒野が続きます。
途中、ある施設が見えました。老朽化と断層の位置関係の影響で世界一危険と言われるメツァモールにある「アルメニア原子力発電所(Армянская АЭС)」です(本当にこっそり撮影)。
また、トルコ国境に非常に近づく場所がありトルコ領を目視で観察可能です。
景色を眺めつつ、2時間程度でギュムリヘ到着。海外の鉄道なので到着時間のブレを危惧していましたが、非常に正確でした。
早速ホテルのある旧市街の方面へ向かいます。
2. ヴァルダナンツ広場周辺へ
ギュムリは旧称が沢山あることで知られています。歴史的名称の「クマイリ」、ロシア帝政時代の「アレクサンドロポリ」、ソ連時代の「レニナカン(レーニンの街)」、そして現在の「ギュムリ」。アルメニア第二の主要都市で伝統的な建築が見られ、名前がよく変わったという歴史からなんとなくサンクトペテルブルク(旧レニングラード、レニナカンと大体同じ意味)を彷彿とさせます。
ギュムリは主に広場周辺・旧市街・その他の一般的アルメニア市街と、景色の異なる観光スポットが集まっています。
早速各所を見ていきましょう。
まず訪れたのが、アルメニアの中心街の広場である「ヴァルダナンツ広場」。
451年、ペルシアとアルメニアが交戦したヴァルダナンツの戦いを記念した広場になっており、広場の中心には英雄の像が。
なんか「勇者パーティ」感があってカッコいいです。3日間でよく見に行ってました。
広場と別の通りで見かけたのですが、ギュムリには現役で馬車が走っています。声かければ乗れたのかな。
広場周辺の建物にも注目。
シネマ「十月」。バリバリのソ連ネーミング。
アルメニアではアルメニア語・ロシア語の文字盤が乗っかった建築物をよく目にします。
後ろに見える教会は神聖母大聖堂。19世紀に建造されたものです。
お次はギュムリでも有名な「聖救世主教会」です。
この教会は、1988年の大地震で倒壊して再建されたものです。倒壊した当時の屋根は今でも展示されています。
1988年、アルメニアのスピタク(後日訪問)にて震源深さ10キロ、マグネチュード6.8の直下型地震が発生。耐震性の低いソヴィエトの住宅や石造りの建造物が軒並み倒壊、2万5000人以上の死者を出す大災害となってしまいました。
ギュムリはスピタクから近いアルメニア二番目の都市。ここも被害を免れませんでした。
倒壊時の様子。3/4は完全に崩壊してしまっています。
犠牲者を追悼し、地震を記憶させるモニュメント。巻き込まれる人々を描くデザインが生々しいです。
ちなみに今回は周辺一帯が工事中で入れませんでした。
3. アボヴャン通り・リジコフ通り・クマイリ地区
広場から離れ、ギュムリの美しさが詰まった歴史的な地区へ向かいます。
まずはアボヴャン通り。
アボヴャンには人形劇場もあります。
ギュムリはこの近辺にある黒い建築物が特徴的で、美しい街として知られているのです。
次はリジコフ通り。飲食店も立ち並んでいます。(尚自分が一番入ったのは売店)
次にギュムリでも特に有名なクマイリ地区。黒くクラシカルな街並みが特徴的です。
アルメニア国内で話した人に「ギュムリに行こうと思う」というと9割ぐらい「あそこは美しいよ」と言われましたが、確かにとってもいい雰囲気です。
4. 中央公園
クマイリ地区から少し歩くと中央公園へ着きます。例にもれず素敵なモニュメントがいっぱい。
オリンピック?これいつ建てたんでしょう。
BGMとして紹介した動画にもこの場所が出てきています。
意味はよくわからないモニュメント。
ソ連の公園らしく、遊園地が併設されています。
アルメニアの五月蜂起の英雄記念碑?1920年にギュムリで発生したクーデター未遂事件らしいです。
標高が高いので景色も良く見えます。
手前に見えるのはロシア正教会の聖堂。
5. 廃病院
次は廃病院跡へ向かいます。大通りから外れるとすぐにたどり着けますが、ちょっとわかりにくい場所にあるので注意。
ソヴィエト時代の建物で、建物上部にはアルメニアSSR時代の国章もついたままです。
地震で倒壊したのでしょうか?完全な廃墟ですし、梁を残してほとんど崩落してしまっています。
明らかに危険なので中には入らず、外から撮るだけで済ませました。
しかし、倒壊してしまっているとはいえ、病院にしては随分イカした建築です。
6. アルメニアの母(ギュムリ)
次はギュムリのアルメニアの母へ向かいます。イェレヴァンのものとは別で中央公園の近くにあります。
公園の入り口近くでは銃を持ったモダニズム的なモニュメントにお出迎えされます。
こちらがギュムリのアルメニアの母。
ソ連によくあると言われる英雄都市の石碑+階段+モニュメント形式の公園です。
英雄都市はモスクワだけでなく
戦時下のウクライナの都市名もあります。
アルメニアの公園ですが、アルメニアの都市の名前はありません。英雄都市はあくまでナチスの侵略と直接戦った都市に与えられる称号です。
英雄都市の石碑の背後にあるのはイェレヴァンとは別の、ギュムリのアルメニアの母です。
土台部分が博物館になっているイェレヴァンよりコンパクトな像で、土台も入ることもできません。多分中は何か彫刻とかがあるんでしょうけど。
地元の人にとってはこの階段が良い運動の場になるらしく、結構な人数が上り下りしてました。ソヴィエトアルメニアでは、母があなたの健康を促進する!
像の裏から見える景色も美しかったです。
7. 黒い砦
Черная крепность、黒い砦と呼ばれる建物が勝利公園の隣にあります。
文字通り黒く、ギュムリらしい建物です。
壁には訪れた人の住んでいる街なのか、都市名が沢山刻まれています。
早速内部へ向かってみます。少なくとも今は一般解放されているようです。
近年内部の再建が進んでいるようで、かなり整備されていました。
劇場型の施設として再利用するのでしょうか?
8. ガレギン・ンジデ通り、独立広場
ガレギン・ンジデ通りには広場やシアター、モニュメントなどが立ち並んでいます。
ある目的地へ向かうついでに、道沿いも見て行きました。
ヴァルダン・アジェマン名称ドラマシアター。
詩人のアヴェティク・イサハキャンの像。アンニュイな雰囲気が素敵。
映画俳優でソ連人民芸術家であるムヘル・ムクルチャンの像。
詩人・ホヴハンネス・シラスの像。
険しい表情が素敵。
I LOVE♡GYUMRIみたいなノリでロステレコムを推してくる謎センスの広告。いらねえよ。
独立広場。ソヴィエトらしい広場。
更に歩きます。
謎センスの像。こういうのが好きなんですけどね。
でも建物が新しく、最近作ったのかそうじゃないのか謎です。ここだけ残してリフォームした可能性もあります。
シャルル・アズナブール記念碑。ガンダム好きな人はピンと来たかもしれませんが、シャア・アズナブルの元ネタの人物で、フランス出身のアルメニア人です。
9. 鉄の噴水
シャルル・アズナブール記念碑の先の道を進むと急に道沿いの建物が減りはじめ、謎の建造物が見え始めます。
「鉄の噴水」です。現在は全く機能していませんが、かつては確かに噴水だったそう。廃墟系ブックなどにも取り上げられる有名なソ連の遺構です。
↓噴水として機能してた時代の写真が載ってる記事
写真の通りですが、シャルル・アズナブール記念碑から少し進んだぐらいまでは普通に街があったのに、モニュメント周辺には大きな建物がほとんど何も見えません。
昔はどうだったのか詳しくはないのですが、こんな記事があったので紹介します。
この記事の中に、噴水に関する次の記述がありました。
≪Целый спальный район превратился в пыль, фонтан уцелел, но воды в нем с тех пор нет.≫
「ベッドタウン全体は灰塵に帰し、噴水は残ったが、水はそれ以来ない。」
噴水の配管は地震で破損し、周辺の住宅地も壊滅してから再建されていないのでしょうか?確かに噴水自体はラウンドアバウトの中心に設置されているように見えますし、住宅街があったころはランドマークだったように思えます。また、この周辺は地震で家を失った人々が仮設住宅を建設した地域の一つとなっているようです。確かに、仮設した小屋がいくつか立ち並んでいたと思います。
地震からは30年以上経過していますが、未だにその影響は続いているようです。
10. 夜のギュムリ
夜のギュムリは美しい、という話をしましょう。
話と言うか、写真を載せるんですが。
黒い道、黒い空、黒い建物、全てが黒く、どこを見ても美しいです。
11. お食事
最後にお食事について。ギュムリでも美味しいものは沢山食べられました。イェレヴァンよりちょっと安いのが良いところ。順番は適当ですが紹介していきます。
まず、公園近くのファストフード店ではデカくておいしいシャウルマを食べました。ここの店員さんも親切で、シャウルマ屋の店員やさしい人多いなあと・・・。
シャウルマはあまり外れない、大きいので腹が満たされる、安い、すぐ食べられると昼間の観光との相性が最高ですから、もし行く機会があれば絶対食べることになるかと。
お次はホロヴァ―ツ。アルメニアに行くなら是非食べてみてください。ラヴァシュで包むのがおすすめ。とっても美味しかったです。
絶対に店で酒を飲む観光客と化していた模様。
アルメニアのピザ風料理、ラフマジュン。
提供された状態だと折って閉じられているのでなんの料理かわかりません。
手頃においしく食べられるのでおすすめ。
美味しかったワイン「アルメニア」。
とっても甘くてフルーティーなザクロワインで気に入ったので、後日ボトルで購入して持ち帰って飲みました。
ラフマジュンと菓子パンのポンチク。
オーストリ。これはジョージア料理です。
ギュムリに来てからジョージア料理を食べる回数が増えて、入国してないのにかなりフライング気味の食事してました。
ジョージア料理、既においしい…
お金が余りそうだったのでギュムリを出る前に食べたシャウルマ。
ここの店員も優しかった。味はもちろん良し。
ギュムリにあるローカルパン屋で食べたピロシキ。こういうとこで食べるのもいいですね。
アジャリア風ハチャプリも頂きました。これもジョージア料理。
よく皿を汚さず食べるのが難しいと言われています。ネット上で見かけた食べ方を頑張って真似たらなんとか汚さずに完食できました。
ボルシチとラフマジュン。
ロシア料理も探せば割とどこでも食べられます。
謎のソ連アイス・・・どういうセンスよ?ソ連史にドはまりした学生が作ったようなラッピング。ゲオルギーリボンもキッチリあしらわれています。
味は普通に美味しかったです。
12. まとめ
長くなりましたが、ギュムリ編でした。美しい街並みだけでなくソ連時代の遺構も多く、様々な面を楽しむことができたと思います。料理もおいしかったですしね。
次回はギュムリからほど近いスピタク・ヴァナゾールへ向かい、地震の追悼やソ連風のレトロな街並みの観光について紹介します。