アルメニアから去る前日、1988年に発生したアルメニア大地震(スピタク地震)の震源地であるスピタク、およびその近郊にありソヴィエトな街並みが美しいヴァナゾールへ訪れました。
今回の記事でアルメニアの都市は最後の紹介となります。
前回の記事↓
BGM↓
目次
1. 驚異の大自然!ギュムリよりスピタクへの道中
スピタク・ヴァナゾールは小コーカサス山脈と呼ばれるアルメニア北部・ジョージア南部一体に広がる山脈に囲まれた街です。
あまり知られていませんが、アルメニアは西部やセヴァン湖までの道沿いの都市が広がる地域を除いてほとんど山岳地帯です。
そしてやはり山脈が連なることもあってか地震も頻発し、現代のアルメニアに大きな爪痕を遺したスピタク地震が起きてしまいます。この時滞在していたギュムリ、そしてヴァナゾールでも被害が生じました。
震源地近くの街スピタクには記念碑やオベリスク、そして追悼碑が立ち並んでいるといいます。そして特に今回注目しているのが「東日本大震災の記念碑」。スピタク地震による犠牲者、そして東日本大震災による犠牲者、それぞれに対する思いが遠く7800km離れたこの地で交差しているわけです。
早速ギュムリでタクシーを捕まえ、スピタクへ向かいます。
さて、スピタクをウェブで調べるとわかるのですが、平原と山の間に位置する大変美しい地方都市です。ギュムリからタクシーで移動していると、次第に小コーカサス山脈に突入していくわけですが・・・この景色がもう最高もいいとこでした。
見てくださいこの・・・
無限に広がる黄金の大地、そして巨大な山々!!!
これが「小」コーカサス山脈・・・?まあ確かに山脈としては標高は低いですが、どこまでも山が広がっておりスケールの大きい風景が続きます。
ほどほどの大きさの山塊が近くに見えるためスケールを掴みやすく、むしろ大きさを感じているのかも。
2. スピタク
1時間程度でスピタクへ到着。
ひとまず、中心街の広場にある「地震犠牲者記念碑」へ行きました。
前衛的で芸術の趣旨は正直くみ取りづらいですが、この街で起きたことは忘れ無させなさそうなデザインだと思います。
ここの近くで献花用の花を購入。
次に、犠牲者を追悼するハチュカル、そして東日本大震災を追悼するハチュカルへ行き、献花を行いました。
スピタク自身犠牲者追悼ハチュカルの近くに東日本大震災犠牲者追悼ハチュカルがあります。
写真の通りですが、既に沢山の献花がありました。ここを訪れた日は3月17日、おそらく追悼セレモニーや地元の人の献花が為されたのだと思います。遠い国の記念碑でありながら、これほどにまで様々な人が悲劇の共有をしにきていることに感慨深くなってしまいました。
スピタクの街並みですが、地震で壊滅したこともあり、ほとんどの建物が再建されているような様子です。震源から離れた街は倒壊せず未だに使われているため、かえってスピタクの建物が綺麗という状態。
あらゆる建物が綺麗めなのが、かえってその被害を感じさせます。
この後、スピタクの丘にある記念碑へ。
地震の記念塔と犠牲者が眠っているであろう墓地や教会、そして地震を起こす山脈が一枚に収まります。
ちなみに近づこうとも思ったのですが、野良犬の群れに追い回され断念。
マジでしつこすぎる。犬嫌いだもう!
お次は聖ハルテュン教会。中心街近くの教会です。地震で市内の教会が倒壊したため、1999年から2000年にかけて建設されたようです。
献花も済ませおおよそ回りたいところは回ったので、マルシュルートカでヴァナゾールに移動します。
3. ヴァナゾール
スピタクのバス停で待っている人が居るので、「ヴァナゾール行きのバスくる?」と聞くと「来るよ」とのこと。ローカル路線だけでなくヤンデクスにも一応イェレヴァンから通じる路線があるので通っているだろうと期待していたのですが、来たのはローカル路線でした。
観光客だとわかってのことか助手席にわざわざ乗せてくれました。ここでも優しい人多かった。
ところで・・・どこ?
不安になって教えてくれたおばあさんにまた聞きますが、大丈夫とのこと。村を周回しながら地元民をその辺で乗降したり、荷物を渡したりしていきます。ローカルバスすぎる。電話等してたんで、運行時間に合わせて適宜コミュニケーションしていたんでしょうか。
しばらくすると再びスピタクへ戻り、ヴァナゾールへ向かい始めました。
ほどなくして到着。
山間の美しい街、ヴァナゾールです。到着時は晴れの状態であられが降り、山の天気のようでした。
雑学ですが、この街はソヴィエト時代は「キロヴァカン」、つまりキーロフの街と呼ばれていました(アゼルの現ギャンジャもキロヴァバードで同じような名前)。
レニナカンという旧称を持つギュムリ同様、交通機関利用時のやりとりでは聞くかもしれません。
はじめに訪れたのが市庁舎前。
ソヴィエト時代の国章、そして銃を持った兵士などの石造があしらわれた市庁舎。かっこいいです。
広場を振り返ると、山に囲われていることがよくわかります。
反対側も山です。
ヴァナゾールのベンチ。Վանաձոր(Vanadzor)と書いてあります。
その他、市内の風景。
そこそこの広さの谷に街を建設しているため、あまり広くはありません。
半日で去りましたが、一日あれば見れそうなところは全て見れると思います。
ちなみに、今回は行きませんでした近郊に放置されたレーニン像があるとのこと。アルメニアでは珍しいんじゃないでしょうか。
もちろん、他の街同様様々なモニュメントがあります。
例えば、政治弾圧犠牲者追悼碑。
トゲトゲに関してはほとんど同じセンスです。共産圏には多いらしい。
次は、「彼らは祖国のために倒れた」と書かれた連帯公園の石碑。カラバフ紛争の犠牲者でしょうか?
遺影が生々しい・・・。
ヴァナゾールの市場。中のイラストがかわいらしいです。
もちろん地元民向けですが、長期滞在で自炊する人にはいいかも。
アルツァフ公園のモニュメントたち。名前からしてカラバフ紛争に関する公園なんですかね?
途中見つけたアルメニア共産党(Коммунистическая Партия Армении)の広告。ソ連時代の国旗を使ってます。
ヴァナゾールのモザイク画。素敵!
モザイク画はソ連では有名な住宅の意匠ですが、アルメニアではバス停同様あまり見かけませんでした。
こちらは帝政時代にロシア人が建築された建造物。
ヴァナゾールの街並みとは雰囲気が異なるので、これはこれで見ごたえがあります。
近くには結構建物が放置されているように見受けられました。ソヴィエト時代の建築部でしょうか。
場所を少し変えるだけで、風景がまるで変わります。
次は、アルメニア・ブルガリアの対オスマントルコ戦争における英雄アンドラニク・オズャニャン、通称「アンドラニク将軍」の記念碑です。イェレヴァン地下鉄の駅名にもなっている有名人。
ちょっと余談ですが、ここに書かれている言葉はロシア語かと思いきや、ブルガリア語です。アルメニアで見かけるスラヴ語なんかロシア語ばっかりだったので、ちょっと意外。
ここの近くに、(個人的に)とてもいい景色を見つけました。「キロヴァカンホテル」とカフカスのレーニンと呼ばれたソ連の革命家、ステパン・シャフミャンのモニュメント。
キロヴァカンホテルには無機質な文字盤とモザイクの紋様があしらわれた、ちょっとおしゃれなソ連建築があります。
手前の貯水池含めて中々良い絵になると思います。地味ではありますけれど。
最後に、ヴァナゾールの大変おいしかったお食事を紹介。
ヒンカリ(ジョージア料理)・ハシュ・リモナード・コーヒーを注文。店主のおばあさんがとっても親切な方でした。
味は最高!ヒンカリはご自慢のようで本当に美味しかったです。
アルメニア語のメニュー。
店の写真。公園の一角にあります。
4. さらば南コーカサス鉄道・夜行列車でアルメニアを去り、ジョージアへ!
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スピタク・ヴァナゾール訪問翌日、ギュムリでゆっくりした後深夜の国際列車にてアルメニアと別れを告げ、ジョージアへ入国しました。その様子を書き残します。ギュムリにおける様子は前回の記事にてまとめておりますので、そちらをご参照ください。
一般的に用いられる鉄道ルートはイェレヴァン→トビリシですが、今回はギュムリ滞在の都合からギュムリより乗車しました。ギュムリにてチケット購入可能。
出発時間は0時過ぎ、22時ごろにホームに着くと地元の人が談笑している以外はなにもありません。カウンターも営業中か不明。
駅が美しいです。夜は明かりが目立ちます。
駅の二階方向に「Комната Отдыха(休憩室)」とあったので上ったのですが、南コーカサス鉄道の優秀社員の表彰や事務所があるばかりで、まるで休めません。仕方なく階段の上で座って待つことに。
・・・
日本時間が日付けを超えていたので漫画の更新読んだりしながら、列車を待ちます。
すると、下から、「降りてこいよ!」「困ってる?」と声が。
おっとなんだ・・・青年たちに囲まれます。とりあえず休憩室もクソもなく地面に座っていることを説明。すると、駅の執務室に入って行って待合室のカギを開けてくれました。いや本当に親切だな!
(にしても、そんなパッと入って開けてるあたりここの職員なんでしょうけど、私服だから全くわかりません)
待合室が開いてなくて休憩室探したところはあったので、大変助かります。
どこから来たの?一人で?チケット合ってる?合ってるね!など色々話したり、助けられたりしました。いや、本当に人助け好きだな・・・。いい人しか居ないというわけでもないけど、助けてくれる人は本当に親切。
最後にアルメニアを去る前に、暖かさを感じる体験が出来たと思います。
ちなみに発車30分前ぐらいまで他に乗客おらず。直前になってロシア人カップルが現れた程度でした。
到着が近いため、ホームで待ちます。暗く静かなプラットフォーム・・・。
すると、汽笛が聴こえました。
き、来た
来た!!!!!!!!!!!!ソ連鉄!!!!!!!!!!!
丸型のヘッドライトに照らされるホーム。趣ありまくりです。
普通に鉄道撮らない方がいいかなって思ったんですけど、抑えきれませんでした。
そして、こちらプラツカルテ(ドア無し寝室の3等車)の寝台です。
更衣室みたいな臭いがします。
列車自体は結構揺れますし、なにより通るルートがスピタク・ヴァナゾールをはじめとする山岳地帯なので、カーブも多いです。
また、ギュムリから乗るとほとんど寝れません。十分寝たい人はイェレヴァンからの乗車を推奨。
0時過ぎに乗り、3時あたりでアイルム駅にて国境警備隊っぽい人たちがゾロゾロと乗り込んできて(寝ぼけて軍人に足向けかけてちょっとビビった)、出国審査を受けます。ここではスタンプを押すだけ。
さらに4時あたりに今度はジョージアの入国審査が行われるサダフロ駅に到着、シートでの審査、一時的な降車を伴う写真撮影、さらに審査、審査、と手続きが続きます。もちろんロシア国籍の人も居るので、いわゆる「別室送り」みたいな対応をされる人もいました。
無事に陸路入国のスタンプをゲット!荷物を全部見せなければならないという噂も聞いていましたが、少なくともトビリシ行きに関しては面倒なことは起きませんでした。眠い中何回も入国審査の手続きがあったのは面倒でしたが。
手続き後、ちょっと一息つこうということでヒマワリの種のつまみに何故か入っていたインスタントコーヒーを飲みました。
日が昇りはじめ、ジョージアの街並みが目に入るようになります。
そしてトビリシ駅へ到着。
イェレヴァンとは全く違う街並みに驚きつつも、後半戦開始です!
5. まとめ
というわけで、アルメニア編はこれにて終了です。
拠点とした都市から様々な場所へ巡ったため、ちょっと入り組んだ記事構成になってしまいましたが、それぞれの魅力についてある程度は残せたのかな、と思います。
アルメニアは大自然もソ連遺産も街並みも料理も良かったですし、旅行者なりに人々と話すこともできました。行って良かった。
さて、次回からはジョージア。ここでは新たなカオスに遭遇することになります。