本記事では、前回に引き続きイェレヴァンの観光について書いていきます。
おおまかには、一日目のイェレヴァン徒歩観光・および滞在中にちょくちょく寄った場所を見ていく感じで、時系列に出来るだけ従いつつ街の全体像について説明していければと思います。
前回の記事↓
読む際はBGMとしてこちらをお楽しみください。
- 1. 空港到着
- 2. イェレヴァン中心街~ソヴィエトアルメニア建国50周年記念塔
- 3. 勝利公園、アルメニアの母
- 4. ツェツィルナカベルト
- 5. 子供鉄道へGO
- 6. アルメニア歴史博物館
- 7. いろんなモニュメント
- 8. 日常的な街の様子
- 9. イェレヴァンのお食事
- 10. アルメニアの日本語たち
- 11. おわりに
1. 空港到着
日本からカタール・ドーハ経由でイェレヴァンのズヴァルトノツ空港へ到着。
空港のイミグレではかなり簡素で質問もされませんでした。観光するためかどうかすら聞かれず。事前に何聞かれるか色々想定したものの空振りし、逆にそれが迷惑かけた感が・・・。
空港のロビーに出ると観光客目当てのタクシー客引きがうようよ居て、しつこく話しかけてきます。これがもうかなりしつこいので、事前に知らないとひっかかっちゃうかもしれない・・・。看板持ってどうですか~と言うだけのドーハ空港を見習ってほしい。
一応イェレヴァン市内と空港を結ぶバスの乗り場もあるのですが、現在は運行されていないという情報もありよくわからず。これ以上待っても客引きに一方的に話しかけられてウンザリなので、配車アプリYandexを使って移動することにしました。
巨大なモニュメントやロシア語の看板など、ソ連らしい町並みを横目にイェレヴァン市街へ。まあ当然ですが雰囲気が全く日本と異なりますし、独特の香りがする街です。
しかし、今度はYandexで何故かホテルの名前は合ってるのに違う場所に着いてしまうというトラブルが発生。どうやらアプリの情報が間違ってたみたいでした。タクシードライバーの青年は無口だけど無口なりに優しい感じで、一緒に探してくれてホテルに到着。こんなボケに付き合わせて申し訳ない。
午前3時あたりにホテルに着き、シャワーを浴びてこの日は泥のように眠りましたとさ。
2. イェレヴァン中心街~ソヴィエトアルメニア建国50周年記念塔
6時間ほどの睡眠の後、宿に隣接するバーで朝食を食べ、早速市内を歩いていきます。
イェレヴァン市街の特徴としては、「円形の外枠の中に碁盤の目を張り巡らせた都市構造」「高い建物が少ない」「レトロで装飾が美しい建物が多い」「公園が多い」「道路が広い」「通りの表は綺麗だが、裏は雑多な雰囲気」「いたるところに偉人や歴史を象徴する芸術品が掘られている」等々。荒野の中に上手く街を作り上げていて面白いです。
まず初めに訪れたのは共和国広場。
旧ソヴィエト連邦らしい広々とした、そして堂々たる宮殿に囲まれた広場です。建物もあまり他では見ない様式。アルメニアの建物は全体的に円と直線の構成を徹底的に活かして建物の荘厳さを際立てている印象があります。
とても良い雰囲気で路上パフォーマンスもそこそこ見かけますが、警官が多く少々物々しい雰囲気。
共和国広場の近くにもいくつか公園があり、様々なモニュメントを見ることができます。
ハチュカル公園。アルメニアではこのハチュカル(十字架入りの石碑)が沢山見られます。彫刻が綺麗なので要注目。
ここから少し歩くと、イェレヴァン地下鉄の駅である「共和国広場駅」があります。
エントランス前にはウクライナ国旗のカラーに塗られた革命家・アラム・マヌキャンの像が。
どうでもいいですが、この後腹痛に襲われてその辺にある薬局でトイレを借りるという恥ずかしき行動が発生しました。薬局のお姉さん、本当にありがとう。
では次の目的地へ。
イェレヴァン歌劇場とその周辺。ここは特にストリートパフォーマーの多い地域で、文化的に活発なエリア(ただしたまに歌劇場前で政治集会が開催されているため注意)。
イェレヴァンに限りませんが、探すと構成主義的な建築物が多く見つかります。これを良いと思うかはあなた次第・・・とはいえ、日本では中々見ないセンスなので注目してみるべし。
まずは共和国広場に続き地下鉄駅「イェリタサルダカン」から。
なんつー痺れるデザインをしていやがる。かっこよすぎる・・・。地下に続く坑道を示すかのような活き活きとした形状。素晴らしい。
イェレヴァン地下鉄もトビリシ地下鉄もこんな感じの謎アートが大体ホームの端に飾られています。
ちなみにイェリタサルダカン(Երիտասարդական)とは、「若者の(=Молодёжная)」という意味だそう。近くに大学があるからかな?Молодёжнаяならモスクワにも同様の駅名がありますね。
しかし、ロシア語の駅名はЕритасардакан=イェリタサルダカンのままで、ロシア語でドルジバ(Дружба)駅と表記されるԲարեկամութոյւն=バレカムテュン駅とは異なり露語訳のМолодёжнаяと表記されていません。理由は謎。
また少し余談を続けますが、バレカムテュンとは「友好」を意味する単語であり、諸民族友好を掲げたソ連らしさが残る駅名です。その他にも現在は変わってしまった駅名として「十月駅(現アンドラニク将軍駅)」や「レーニン広場駅(現共和国広場)」などもあったようです。
書いてて思ったんですが、地下鉄の駅名がとにかく地名と関係ないものばかりで初見だとちょっと難しいですね。面白いからいいんですが・・・千代田線の駅名に歴代天皇や戦国武将の名前とか「2月23日駅(天皇誕生日)」とか付けたらわけわかんなくなりますよ。
ちなみにトビリシもイェレヴァンも地下鉄の音は本当にうるさいです。発着時の音が大きいですし、走行時も窓が開いてることが多いので轟音しか聞こえません。たまに会話してる人居るけどすごい。
あと、ソ連地下鉄定番ネタらしいですがエスカレータがめちゃめちゃ速いです。大股で乗るか小走りで乗るかする必要あり。自分はちゃんと転びかけてノルマ達成しました。あーあ。
サクっと乗り方について。事前に窓口で100ドラムで1トークンを購入する方式となっています。切符でもなければカードでもないので、事前に乗りそうな分だけ買っとくといいです。
話が脱線したので戻りましょう。次はアルメニア国立工科大学第九棟。
どういうセンス?と思う方も多いでしょうが、この校舎だったら一限間に合います。母校にも見習ってほしいです。
イェリタサルダカン駅から少し歩くと、イェレヴァンで特に目立つ観光地の「カスケード・コンプレクス」が見えます。大きな階段の間に噴水が設置されています。ただ、自分の訪れた時は冬期なのかそれとも水不足なのか止まっていました。
巨大な階段とアヴァンギャルドなアートが目に留まります。
余談ですが、カスケードにもある半円状の花のような謎の彫刻(三枚目中心に見えるもの)はどうやらアルメニア式の日時計のようです。教会の高所など、建物の外側の日の当たりやすく方角の一致する位置によく備え付けてあります。時計すらなんだかオシャレで面白いです。
カスケードの頂上から左側には仮設の通路があり、そこを通ってさらに上ると「ソヴィエトアルメニア建国50周年記念塔」が現れます。いかにもソヴィエツキーな外観のオブジェで大変興奮します(鼻息を荒くする)。
記念塔の前には展望台があり、トルコ領でありながらアルメニアのシンボルであるアララト山バックにイェレヴァンを一望することができます。今回の旅行では天候の都合上アララト山をはっきりと見ることができたのはこの日だけでした。
塔の根元にあるのはおそらくアルメニアの象徴である「永遠のサイン」と呼ばれるものです。宗教的な意図で用いられることも多いですが、革命的建築にもお構いなしに使われているような印象があります。
建国50周年記念塔の近くには「ソヴィエト弾圧犠牲者追悼碑」も鎮座しています。
さて、早速前半だけでかなり濃厚な旧ソヴィエトの痕跡観光を行えました。午後も似たような調子で続きます。
3. 勝利公園、アルメニアの母
記念塔近くの大通りを挟んで反対側には大きな公園があります。
一見すると遊具であったりレストランが立ち並んだり猫ちゃんが居たりのどかな雰囲気ですが、公園の持つテーマは重厚です。
公園の名前は「勝利公園(パルク・パビェーディ)」。要するに、第二次戦争に関する記念碑や追悼碑が沢山ある公園なのです。また、勝利と言うには決して勝ったとは言えない戦争に関する、あるいはソヴィエト政権の革命に関する石碑もあります。
こうした第二次大戦をメインテーマとする公園は旧ソヴィエトの各地に点在し、アルメニアにも多いです。
アフガン戦争の追悼碑や、
革命家・レーニンの言葉が刻まれたハチュカル風の石碑。
ソ連邦英雄の名が刻まれた石碑。
ハチュカルは本来はアルメニア正教会の宗教的なシンボルとしての石碑ですが、ここではソヴィエト連邦の功績の文脈で、”赤化”されています。建国記念塔の永遠のサインといい、政府系の建物に残る教会に使われた建築文化といい、ソヴィエト時代でも無宗教でありながら関連する文化は排除しきれない、というある種の葛藤のようなものが垣間見えて面白いです。
では次の場所へ。
平和を願うモニュメント。拳を突き上げる力強いデザインが印象的です。
是非この拳をクレムリンのカス共にお見舞いしてやりたい。
これら全ては同じ通りにあります。しばらく進むとこの公園のランドマークである「アルメニアの母」に到着します。
この像は第二次大戦の戦勝を記念としてアルメニアを擬人化した建てたものだそう。スターリン時代はスターリンの像でしたが、批判の余波か現在のデザインに変更されたそうです。ちなみにトビリシにも似たテーマの像がありますし、後日訪れるギュムリにもあります。その他有名なのだとウクライナ・キエフやロシア・ヴォルゴグラードにある像かと。
像の前には消えない炎が灯る無名戦士の墓もあります。
この像ですが、実は中に入ることができます。
中へ入るとロシア語で学芸員?のような年配の女性に案内されました。多分第二次大戦のことを展示しているんだろうなあと思いつつどこから来たの?といった質問であったり見ていく?と聞かれて見ていくよと答えたりしたのですが・・・。
おっっっっっっとこれは・・・・
これは思ってたよりアレな内容かもしれない。要するに、現在この国が絶賛外務省渡航危険レベル4を出している直接的原因であるナゴルノカラバフ紛争に関する展示があるということです。しかし、旧ソ連からの地続きの歴史に関するトピックですし、長年占領して最近奪い返された国の目線からこの紛争がどう見えているかがわかる貴重な機会でもあり個人的には興味深いです。せっかくなので見ていくことに。
こ、これは・・・紛争で使われた装備品や、捕縛品、遺品と思われる品々が沢山展示されているではありませんか。最近の衝突で亡くなったと思われる兵士のものまで。アゼルバイジャンやトルコの国旗などもあります。これはちょっと寒気がします・・・。
パシニャンの写真も(現アルメニア大統領)
写真を撮り忘れる重大ミスを犯してしまったのですが、ナゴルノカラバフを堂々と自国領として示す大変な立体地図も展示されていました。
ジオラマもあり、現在アゼルバイジャンが支配下に置いているシュシャを再現した展示がありました。学芸員はこれを見ながら淡々と占領されているんですとか解説してくれましたが、そういえばアゼルバイジャンがここを支配下に置いたとき国防省(確か)が投稿した映像を当時見たなあ、と思いだしました。デジタルの世界で戦争が至近距離で見れるようになってるんだなと当時は驚いた記憶がありますが、それからも世界では変わらず酷い紛争まみれです。
一応第二次大戦に関する場所と言うことでベルリンのジオラマも。
正直ほとんど現在のアルメニアが抱える問題に関するもので、第二次大戦についての展示は少なかったです。軍人の胸像であったり入れない地下室であったり装飾で合ったり無いこともないのですが。
一通り見たのでアルメニアの母を出て、周辺に展示してある兵器たちを見ます。
う~んこのソ連仕草。興奮してしまいます。
でも見た目はかっこいいけどやっぱり〇す道具だから見てて怖く感じます。
公園自体は見てて大変面白かったです。この日のイェレヴァン周遊で一番ソ連を感じたかもしれない。
というわけで、次の目的地へ向かいます。
4. ツェツィルナカベルト
カスケードから次の目的地は少々遠いですが、歩いて向かいます。
途中ペプシの売店寄ったら店主がやたら嬉しそうに売ってくれてちょっと楽しかった・・・。
中心街から離れた位置はこれはこれで見ごたえがあるというか、中々見慣れない景色が目に入ってきます。赤茶けたマンション、住宅街、ラーダの間をすり抜けていきます。
フラズダン川を超えると、巨大な建築物の前に到着します。
カレン・デミルチャン名称スポーツ・コンサートコンプレクスです。
見てくださいこの・・・
巨大なカスケードの階段!
ソヴィエト的彫刻!
宇宙船地味た代々木競技場もびっくりの謎センス建築!
もうたまりません。イェレヴァン工科大学に引けを取らない素晴らしい建造物です。
ついでにこの建物が登場するアルメニアンMVを貼っておきますね。
ただ、残念ながら劇場前のカスケードは老朽化が進んでおり、落書きが多く崩壊しかけている箇所もありました。折角面白い建造物なのだから修繕して欲しいところ。
さて、謎建築を楽しんだところで、次の目的地へ向かいます。
しばらく進むとハチュカル(アルメニア式の石碑)が見えてきますが、悲し気なメロディーが聴こえ、あるものが目に入ります。
ツェツィルナカベルト、アルメニア人虐殺記念複合施設の追悼モニュメントです。第一次大戦時に発生したオスマントルコによる大虐殺を受け、1967年に建造されたものです。
詳しいことは省きますが、この一連の事件によって現在のアナトリアからアルメニア人が追放され、数多く殺害されました。
中心の山のようになっているモニュメントの中には入ることができます。
中心には追悼のための火と献花が見られ、柱に反響するかのようにレクイエムが流れ続けています。
中からは火と献花、柱、空しか見ることが出来ません。中心の火から自然と視界が上に向き、天を仰げるようになっています。
↓中の雰囲気
この追悼碑の近くにある階段を降りるとアルメニア人虐殺に関する無料の博物館に入ることができます。言語はアルメニア語、ロシア語、英語、フランス語の4つがあるので、頑張って読みましょう(この日ほど外国語を読んだ日は旅行中無かった)。
虐殺を受けた側からこの事件がどう見えているか?について知ることができる貴重な場となっています。
もちろん、こうした展示については内容に対しては注意が必要です。私は研究者ではありませんし内容の真偽についても検証できません。あくまで現アルメニア共和国がどのような態度をとっているか、そしてどう認識しているかについて知り、世界で起きて来た虐殺事件に対してどういった態度を取るべきか考えるきっかけとする場所であると私は思います。
遺体の映るショッキングな展示も多かったので、ここではセンシティヴな写真を省いた一部だけを掲載します。
アルメニアの母に引き続きかなりダークツーリズムというか、重苦しい内容でした。見に行って楽しいかと言うと決して肯定はできませんが、行っておくと良い場所ではあると思います。
どちらもお隣のテュルク系国家との歴史的な対立とも絡む内容でしたし、現在のアルメニアがどういった態度をとっていて、どういった状態にあるか、そして過去はどうだったか知るには良いと思います。まあ海外の博物館なのでどうしても言葉の問題がありますが・・・。
5. 子供鉄道へGO
これは別日なのですが、セヴァン湖に行く前に寄り道した子供鉄道について見てみましょう!
子供鉄道とは、旧ソヴィエトによくある鉄道員養育のための教育用の鉄道で、場所によっては現在も乗車できるそう。イェレヴァンのものも乗れるらしいですが、朝早い時間に行ったのもあって特に乗れそうな雰囲気はありませんでした。というか、駅舎も鉄道本体もかなりボロボロだったので、本当に動いているのかどうかわかりません・・・。
さて、その子供鉄道ですが、実のところフラズダン川が流れる深い谷沿いにあり、その辺の幹線道路から降りるのが難しくなっています。そこで、フラズダン川に繋がるトンネルを通ってアクセスします。ここが結構面白いです。
トンネルは二本ありますが、片方は崩落しており通れません。おそらく幅からして昔は車両も通行できたんじゃないでしょうか。
暗くてちょっと怖いですが、歩く分には大したことはありませんでした。
ちなみにこのトンネルはかなり落書きがひどいですが、現在の世界情勢を感じるものも多くあります。(トビリシはこの比ではないのですが・・・)
トンネルを抜けると公園が現れるので、階段を下りて子供鉄道へ向かいましょう。
子供鉄道の駅ですが、おそらくイェレヴァン鉄道駅をモチーフにしていると思われます。
子供用の施設ですが、ステンドグラスや彫刻が美しく、随分しっかり作ってあります。
駅前には線路があり、鉄道が停車しています。
いや落書き多いし放置されてんのかわからんぐらいボロい!本当にこれ動いてるのか・・・?
でも見てて面白いです。結構穴場スポットですしソ連を感じる場所でもあるので、個人的には大満足ですね。
6. アルメニア歴史博物館
共和国広場の中心にそびえ立つラスボス要塞調の建物には博物館と画廊が入っています。今回は博物館の方に入ってみました。
いきなり近代の国章にお出迎えされましたが、博物館自体は近代史ではなくウラルトゥと呼ばれる古代王国、古代史に関するものがメインでした。そういえば、街中には結構ウラルトゥって名前の売店とかがありますね。
折角なのでちょっとだけ載せます。
7. いろんなモニュメント
市内には数多くの謎だったりちょっとおしゃれだったりするオブジェが多いです。
かなりの余談ですが、この鍵のモニュメントがある歌劇場前の通りでヴィクトル・ツォイの曲のパフォーマンス聴いていたら、若い子たちに囲まれて「タンゴ踊ろう!」とか言われて踊ることになっちゃいました。ああなんか旅行記っぽい!あんまり現実感無かったけど忘れること無さそうです。恰好褒められたしなんか日本より圧倒的にモテるんだけど。
そんなことされたらこの街のこと好きになっちゃうだろ・・・。にしても、流石歌劇場前です。夕方になるとパフォーマー増えますし、美しい雰囲気の通りでした。
他にも日の暮れたの共和国広場には百万本のバラを歌う人が居たり・・・夕暮れや夜はイェレヴァンの華やかな一面を楽しめますね。
↓動画
マジで良い pic.twitter.com/Dbd6eOvvZ2
— GTOtaku (@GTOtaku888) 2024年3月15日
個人的に気に入っているのがイェレヴァン建国2800年記念公園。イェレヴァンをテーマにしたアートが沢山置いてあり、噴水の配置が綺麗です。水は流れてませんでしたけど・・・。
その他にも色々な作品が街中にあります。
他にも歩道に突拍子もなく古そうな水飲み場が設置されていたり、全体的に水に関してはかなり自信がある街のようでした。折角だし噴水が流れてくるところも見たかったですが、まあ冬期ですからね・・・。
その他、クレムリンハゲのクソ茶番の在外選挙ポスターを見つけたのでパシャリ。何が「一緒になれば我らは力だ、ロシアの為に選挙に行こう!」だよ。はーーーアホくさ。投票用紙飛行機にして遊ぶ方が有意義では?
アルメニアではトンネルの落書きやアラムマヌキャンの像、空港到着時のサッカーのポスターぐらいでしかウクライナとの連帯やロシアに対する怒りを感じるものがありませんでした。隣国アゼルバイジャンとの紛争の影響も鑑みると対露感情は決して良好とは言い難いと思いますが、市内や店の様子からして経済的・政治的な依存度合は未だ高いと思います。
8. 日常的な街の様子
市街地の日常的な要素についても、日本と異なるところ、あまり変わらないところ、色々あります。
例えばキオスク。ソ連時代の画像を検索するとキオスクが映っているものが多く見られますが、現在でも健在。適当にジュース買ったりできてとっても便利です。これはあんまり日本では見ない光景ですね。
あと、ちょっと驚きなのが街中でATMや自販機が平然と置いてあること。ATMに関してはスキミングが怖いので使わなかったのですが、自販機はどれもちゃんと動くし、コーヒーマシンも美味しいので大変重宝しました。
イェレヴァンには何故かパンチングマシーンが散見されます。やってみましたがカスみたいな数値が出て「この国で喧嘩を売るのはやめよう!」と固く決意しました。ちなみにこのマシンは歌劇場近くのもの。
また、食料品店はかなり多いです。各市街の中心から離れすぎなければ、どこにもなんの店もないという困った事態にはまずならないはず。このおかげで宿に酒を持ち帰りまくってひたすら飲酒することができました。
薬局もどこでもあります。
余談。ロシア語学科の人が初めて旧ソ連行ったときに躓きがちといわれる「パケートヌジーン?(袋いりますか?)」「ウヴァスイェースチボーヌスナヤカルタ?(割引カードはお持ちですか?)」の会話は予習していたのでなんとかなりました。ロシア語学科のひとたち、ありがとう。
ソ連式接客もそこそこされましたが、個人的に余計に会話しなくていいしトラブル起きたときはちゃんと言ってくれるからあれはあれで楽かな・・・。どっちかというと鉄道駅員に詰められる方がしんどい。
9. イェレヴァンのお食事
大体美味しかったです。ちょっとよくわかんないのもあったけど(スタローヴァヤとかマジで適当に注文した)。
その他お酒も沢山飲みました。
バルチカはロシアのビールです。イジェヴァンコニャックはアララトが高くて土産にしようと思ったので代わりに購入。つまみとしてシャシリク味のチップを頂きました。
キリキアビール。お店で飲めることが多いですね。基本的に瓶ビールが多いので栓抜き持ってた方が良いと思います。無ければ部屋の鍵で頑張れ!
ロシアのビール。アルメニアはジョージアと比べるとにかくロシア製の飲食品が大量においてあり、簡単に手に入れることができます。ウォッカでもなんでも、ロシアに行かなくてもいくらでも飲めます。
コタイク地方に行った帰りに呑んだコタイクビールです。にしても、アルメニアのビールはどれも美味しいです。
ライ麦と麦芽を発行させてつくる炭酸飲料クワス。ロシアをはじめとした東欧の郷土飲料です。
麦の炭酸飲料と言われてもピンと来ないかもしれませんが、ほのかな酸味と程よい甘み、そして何より黒パンのような香ばしさを持つ、サッパリ目の風味となっています。甘すぎないのがまた飲みやすくて、一日中乾いた空気を浴びて干からびた体を潤すにはもってこいです。
あんまり美味しそうと思わないそこのあなた!もし飲む機会あったら騙されたと思って飲んでみてください。特に夏場がオススメ。
10. アルメニアの日本語たち
アルメニアで日本語?何故・・・
いや何故だかはともかく、意外と目にします。
また、入りはしなかったのですが意外と日本料理店が多いです。逆にこういうところの日本料理って気になるんですよね。今度海外旅行行くときはわざと入ってみてもいいかもしれません。
11. おわりに
さて、とりあえずイェレヴァンについて大まかに紹介しました。
もしかしたら思いだしたかのように内容を追加するかもしれません。
個人的にはとても面白い街でしたし、一生忘れることはなさそうです。
さて、次回はエチミアジン(ヴァガルシャパト)編です。