今回が最後の記事。帰国前日、スターリンの故郷のゴリを観光しました。
↓前回
BGM
- 1. トビリシ⇒ゴリ
- 2. ゴリジワリ修道院から南オセチアを望む
- 3. スターリンの出身地・ゴリ
- 4. スターリン博物館と関連施設
- 5. スターリン博物館の展示
- 6. 大祖国戦争博物館のレリーフ
- 7. ゴリ要塞
- 8. 帰国
- 9. まとめ・おわりに
1. トビリシ⇒ゴリ
今回はジョージア国鉄へ乗車して向かいます。バスなどでも行けますが、鉄道の方が楽。ただし、ダイヤは少なくちょっと融通が利きません。
バスに関しては多分ディドゥベに行けばいいんじゃないかと思います。ゴリゴリ言ってたし。
鉄道にはアルメニアと乗り方はさほど変わりませんが、トビリシ駅は呼び出しレシート印刷⇒窓口で購入の形式なので時間は余裕を持った方が良いです。オンラインで買うのも一つの手。
ゴリはトビリシからさほど離れてはいないので、1時間ちょっとで着きます。
ゴリ駅。スターリン様式ってやつでしょうか。ソ連らしい黄色で彩られた古典様式。(接客もソ連式で、もれなく冷たくあしらわれることができるぞ!)
ジョージアの駅舎はアルメニアの茶色主体の建築とは違うデザインが多い印象。というか、そもそもアパートの色すら違います。建材となる石が異なるのかもしれません。
今回はまず初めに、ゴリジワリ修道院と呼ばれるゴリ郊外の山の上にある教会へ登り、それから市中観光を行います。
2. ゴリジワリ修道院から南オセチアを望む
ゴリ近郊の風光明媚な場所に位置する教会へ向かいます。にしてもジョージアに来てから山の上の教会に登ってばかりです。ジョージアの急峻な地形ならではの体験かもしれません。
中心街から反対方向に歩いていきます。
今回は徒歩で向かいましたが、個人的には舗装路方面からタクシーでアプローチすることをオススメします。理由は次の写真を見ればわかります。
泥・泥・泥。雨でぬかるんで歩きづらくてたまりません。挙句の果てにカタツムリが大量に足元に歩いてました。茨にぶつけて傘も壊れて草。
晴れてても結局悪路でずっと登坂なので、中々の運動です。途中野良犬の吠える声がずっと遠くから聞こえていて恐ろしかった・・・。
一時間以上歩いていると、山の上のゴリジワリ修道院が。背景にはゴリが見えています。
この日はとんでもない突風でした。ジョージアの山の上はどこも風が強い・・・。
案内人の犬。隣を歩いてきます。
こちらが修道院のお堂。今回は中に入ることはできませんでした。
そしてここのハイライトともなるのがゴリ方面の景色です。
着目すべきは画像奥の地域。このゴリの街から20~30キロ北方へ進むと、南オセチア共和国(未承認国歌)が実行支配する地域、およびその首都とされる街・ツヒンヴァリがあり、ゴリと共に眺めることができます。空から見ると境目など見えませんが、そこには確かに人間同士の断絶があります。
そしてこの街ゴリは、2008年のジョージアとロシアの戦争の結果、一時的にロシア軍に占領された経歴があります。その詳しい経緯については様々な意見ありますが…。
もしかすると、自分は束の間の平和の間に来ているだけなのかも・・・とも思える光景です。
さて、風景も目と写真に収めたので、下山して中心街へ向かいます。
おまけ:恐怖を感じる落石と、呑気な牛たち
おまけ2:撮り鉄
線路は明らかに渡れって感じの入り口があって地元民が使っていたので、自分も渡りました。
3. スターリンの出身地・ゴリ
ゴリはあの色々と有名なソ連の独裁者、ヨシフ・スターリンの出身地であり、スターリン通り、スターリン公園、スターリン博物館など、他では見られない高濃度スターリニウムの産地スターリン尽くしの街となっています。街並みも今回訪れた街の中では少々異質な非常にソ連の地方都市っぽい雰囲気でした。同じ国なのに街の顔が全然違うのはジョージアの面白さの一つかも。
街中の様子はこちら。曇り空と雰囲気が合いがち。
ソ連時代の意匠も残ります。
レストラン(レストランとは言ってない)
表通りから抜けると閑散とするのはギュムリをはじめとした地方都市でよく見た光景です。
旧ソ連によくありそうな劇場
庁舎。こちらもソ連の様式ですが、10数年ほど前まではこの前にスターリンの像が建っていたそう。今はご時世的に厳しくなったのかなんなのか、博物館の方に移管されています。
例にもれず空き地があれば大体像が建ってます。
ここで、山に登って疲れたので腹ごしらえ。有志ブロガーの紹介していたゴリ風味のカツレツとストロガノフを頂きました。めちゃめちゃうまかった。昼間から酒と一緒に喰らうことを推奨。
パンと共にドカ食いし完全におなか一杯なため、本日のメインの観光地へ向かいます。
4. スターリン博物館と関連施設
ゴリのハイライトであるスターリン博物館はスターリン通り沿いのスターリン公園の前にあります。
ここはこれまでの人生の中でぶっちぎりで異質な展示が並ぶ博物館でした。博物館ではソ連の歴史からスターリン崇拝に関する展示、スターリンの生涯に関する展示を見ることができます。
個人的に気になったのは、ソ連の歴史に関して、非常に淡々とソヴィエト政府側からの視点を織り交ぜて解説していたところ。一応、政治弾圧犠牲者に関する部屋もあるのですが、非常に小さかったです。
トビリシでソ連によるジョージアの統治を全面的に批判する内容のソヴィエト占領博物館へ行ったこともあって、全く違う雰囲気に驚きました。テーマが違うといえばそうなのですが、ジョージア国内でも地域によって旧ソ連の統治に対する態度というのは異なる傾向があるんでしょうか。
スターリン公園の博物館関連施設は複数に分かれていますので、以下に紹介します。
①ヨシフ・スターリンの生家
1879年にここで生まれたそう。あと、これは有名な話ですが、スターリンはあくまで政治活動用の名前(鉄の男という意味で名付けた)であり、本名はヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ。ジョージア出身なだけあって普通にジョージア人の姓を持っています。
にしても、このレベルの著名独裁政治家になると、遺体に防腐処理を施されるどころか実家を仰々しい建築物付きで保存されるのか・・・。
家全体が囲われている様はなんとなく中尊寺の覆堂を思い起こさせます。似てないけど。
家のデザイン自体はジョージアの一般的古典住宅。
②スターリン像
スターリン批判等をはじめとした反スターリニズム、更にソ連崩壊の余波で、レーニン像に比べるとかなり数は少ないはず。(ロシア等では再評価の流れからか新しく建てることがあるとかないとか・・・。)
余談ですが、今回の旅でレーニン像は一つも見かけなかったため、スターリン像は見たことがあるけどレーニン像が見たことがない人間が生まれてしまいしました。こういう地域に興味持つからには普通順序逆だと思う。
なんて勇ましい佇まいなんだ。こんな博物館が出来るぐらいなんだから彼が統治した国家は常に平和だったに違いないだろ!
③博物館本館
最も注目すべきハイライト。
ソ連らしい荘厳な建築に息を呑みます。
エントランスに入ると、右にチケット売り場があるので、そこで料金を支払って入場。
階段の上に、早速スターリン像が・・・ゾクゾクする・・・。
ここには載せませんが、ツーショットも撮ってしまう始末。普段自分のことなんか撮らない癖に、独裁者の像の前ではそういうことをしてしまうのか・・・。
こういった像があることからもわかるかと思いますが、とにかくスターリン崇拝に関する展示物は多かったです。
具体的な展示内容は後程紹介します。
④スターリン専用客車
スターリンが使っていたという客車。
管理人が居る時は内部を見学できます。
ФД...フェリックス・ジェルジンスキー?
内装はこちら。指導者が乗る列車ではありますが、割と質素というか、端正に感じます。
おまけ
スターリンがウンコをしていたと思われるトイレ。ギャハハ!スターリンのウンコ!ソ連の指導者はトイレに行かないっって聞いたのに・・・嘘だろ・・・?
5. スターリン博物館の展示
展示室前には、胸像や関連するオブジェなどが展示されています。
ソ連の機関誌のオブジェ。イスクラやプラヴダ等、一度は聞いたことはあるのではないでしょうか?
出入口付近に管理者が居るので、チケットをもぎってもらって入場。
展示内容としては、主に彼の生涯に関するもの。ただし、基本的に革命や戦争の功績、崇拝に関連する物品など、決して批判的なスタンスの展示ではありません。やっぱり、ソヴィエト占領博物館と温度が違いすぎる・・・。
はじめは少年~青年の頃の話が主に触れられています。
スターリンは若いころから革命運動に傾倒し、革命家としての人生を歩んでいくことになります。
1905年にレーニンと出会ったのはフィンランドで行われた会議だったようですが、その際のスピーチ原稿は残ってないという記述が。感動的だったという感想はありました。
レースタ尊すぎるだろ・・・。
次に示すのは十月革命の勢力図。戦争に関連する展示が多いこともあって、この手の地図は結構沢山あります。
スターリンの伝記。各国語に翻訳されて出回っていたようです。
工業化とソ連の発展は切っても切れない関係にありますが、そのことに関する展示もちらほら。
「工業化とは、何よりもまず重工業の発展、特に工業全般の主要な神経である我々自身の機械製造の発展として理解されなければならない。これなくして、わが国の経済的自立の保障を語ることはできない。」
指令:ソ連最高会議幹部会
同志スターリンに社会主義労働の英雄の称号を与えることについて。
ボリシェヴィキ党の組織化、ソヴィエト国家の建設、ソ連における社会主義社会の確立、ソ連人民友好の関係強化における卓越した功績に対して、同志スターリンに60歳の誕生日に社会主義労働英雄の称号とソ連の最高勲章であるレーニン勲章を授与する。
国家の集団化に関する展示。
「集団化テンポとコルホーズ建設の国家補助の手段について」
・・・等々。ソ連建設に際し、彼がどのようなことを行っていたのか、そして国家としてどのような指令を下していたのかに関する展示へと発展していきます。
お馴染みのエンブレム(国章)たち。ちなみにジョージアは左上の下二番目にある円形のものでした。当然今は独立しているので使っていません。
基本的に共産圏の社会主義時代のエンブレムは国にもよりますが両脇から麦などの農産物が生えて真ん中で槌と鎌があったり工業したりして上に赤い星、みたいなのが多いですが、現在でも意匠が継承されていたり、あんま変えずに共産主義のシンボルだけ除いて使ってたりする国もあったりします。
次のこちらはスターリンがクレムリンで使っていたらしい机。ビリヤード台に見える。
このあたりから展示の個人崇拝色がどんどん濃くなっていきます(怪しい顔)。
全く読めませんが、詞でしょうか?
有名な航空工学の巨人・ツィオルコフスキーがスターリンの電報に感謝する電報。「あなたの暖かな電報に感謝いたします。今日死ぬことはないでしょう。」って、なんというか、めちゃくちゃ誇大表現したビジネスメールっぽくてなんか嫌だな・・・。
その後にソ連の飛行船は世界一ィ!みたいなことを書いてますが、飛行船の設計をしたのでしょうか?
スターリン「について」の詩集。まあ、こういう本も沢山作られたんでしょうね。
そして、例のアレ。これを見たらわかる人は次の展示が何かはわかるでしょう。
みなさんお馴染み大祖国戦争(Великая Отечественная Война)の展示です。
※これは戦勝を記念した時計らしい
戦争に関連する博物館は今回の旅行でいくつか回りましたが、やはりここは圧巻でした。
まだまだ展示は続きます。
超有名な肖像画。ちゃんと横向いてます。
国章とスターリンの絨毯。
ところで、この博物館の一角に、スターリンの血縁者に関する展示があります。
中心の人物はスターリンの長男・ヤコヴ。
「もう二度と祖国を見ることができなくば、父に私は決して裏切っていないと伝えてください。」
スターリンとヤコヴの関係は良いものではなく、関係が改善しないまま捕虜となり、亡くなってしてしまったと言われています。
日本の武将に現在でも子孫が居ますが、スターリンも例外ではなく、子孫に関する展示が。彼らにとってスターリンはどう映っているんでしょうか?
(左下に映るのがスターリンの娘のスヴェトラーナと娘のジダノヴァ、その右がジダノヴァの家族です。)
死後ヤコヴに与えられたソ連邦英雄勲章。
しばらく館内を進むと、静かな空間が現れます。
スターリンの「死」に関する展示です。
展示の仕方が上手くて、この静かな空間に入るだけで彼が死んだとわかる、そういう展示でした。解説も特にありません。
この展示で思い出したのはこのスターリンの葬儀に関する実録のドキュメンタリー映画、『国葬』です。Amazonなどでも配信されています。
日本でも丁度この映画を見た時期に安倍晋三元首相の国葬が執り行われたので何かと色々思うことのあったなあと今になって思いだしました。式典や国民の反応自体は全く質の違うものですが。
予告だけでも見てみてください。彼がどういう視線を以って見送られたか、なんとなくでも感じ取ることが出来ると思います。映画を通してのものではありますが。
このスターリンのデスマスクの後に、スターリンの時代から遺された、彼を思う物品の数々の展示が続きます。
しかしまあ、なんというかこんだけ顔が描かれてる皿を見せられると、サブカルコンテンツの特典に付いてくるキャラ皿みたいだな・・・
こんな弾圧おじさんの絵を皿に描かれても全然嬉しくないけどそれはそうと好奇心的な意味では一枚持ってみたいかも。
中国から贈られた物品も多いです。今回の旅行で一番漢字を見たのここだと思う。
壽(ことぶき)。
これめっちゃBOSSコーヒーっぽい。
部屋は変わりますが、順路の最後に執務室を再現した部屋があります。
ここは結構賑わっていました。
スターリンの装っていた物品や服もあります。
この博物館の一角に、スターリンによる政治犯弾圧に関するコーナーがあります。
知られている通り、彼は数多くの人間を政治犯として逮捕・処刑しました。本博物館のメインの展示室は主に彼の正の評価にフォーカスしたものなので、全く異なる方向性の展示です。
おまけ:グッズコーナーで買った大変ありがたいポストカード
6. 大祖国戦争博物館のレリーフ
この後大祖国戦争博物館へ行こうとしたところ、どうやら閉館の様子。うーむ。
しかし、エントランス前の記念碑は中々壮大なデザインだったので見ていきました。
どういった趣旨のものかはわかりませんが、十字架の慰霊碑もあります。これはおそらくソ連崩壊後に建てられたものな気がしますが、ゴリ占領時の犠牲者とかなのかな・・・。
7. ゴリ要塞
ゴリのもう一つの観光名所、ゴリ要塞へ向かいます。
ベッサリオン・ジュガシヴィリ通り(スターリンの父)を進むと、要塞にたどり着きます。
ゴリ城塞は中世に建設され、軍事中枢として長い間利用されてきたようです。
ゴリジワリ程ではないにせよ、景色は良いです。
古めかしい城塞とソ連の住宅が目に入る、中々面白い光景を楽しめます。
城塞の麓にはいくつかモニュメントがあります。
まずこちらはジョージアの戦士像。いずれも体の一部が欠損したデザインです。
もともとソ連崩壊前1985年に制作されトビリシにありましたが、2009年にこちらに移設されました。
落書きでよく見えませんが、2008年に発生したロシアとの南オセチア紛争に関連付けられているパネルもあり、現在のジョージアの苦境を連想させます。
メモリアルパークの謎の記念碑。
意図よくわからず。誰か情報待ってます。
近くにある「勝利のモニュメント」。
こちらも情報がよくわからないので、ちょっと調べてみますが・・・。
ここはちょっとした公園となっており、近くのギャラリー?っぽい建物にはこれまた美しい意匠が。
字体がやたら凝っていてまっっっっったく読めませんが、とりあえず一つだけ言えることはあります。
ジョージア文字は美しい(主観)
さて、ゴリの紹介はここまで。
最後にゴリ駅の写真をいくつか投稿して、帰国時のことを紹介します。
ゴリ、トビリシと同じ国のはずなのにとにかく色々テンションが違う街で大変面白かったです。予想に過ぎないですけど、多分バトゥミとかズグジジとか行った時もそれはそれで驚くかも。
8. 帰国
ゴリ観光の翌日、トビリシでグッダグダの観光(トビリシ編にまとめました)を終わらせ、ホテルのオーナーの助言で空港へたどり着いて帰りました。
↓できれば近くで見たいめちゃくちゃ刺さるセンスのモニュメント
トビリシ国際空港はかなり綺麗でした。ズヴァルトノツよりも便利な気がします。
ただ噂には聞きますがこちらもタクシーの客引きは危険なようですので、入国時はトビリシの市内バスかBolt等の配車アプリの利用を推奨します。
そういや食べてないと思ってチュルチヘラ食べたんですけど、すごく美味しいわけでもなければなんか口の中アレルギーでちょっと痒くなって、正直微妙でした。市場で食べた方が良かったかなあ。
帰りは行きと同様中東の空を跨いでドーハへ行き、一回東南アジアでトランジットして帰国。
イランイラク上空とか通りましたが、今はもう無理なんですかね。
帰国後は三田二郎へ行って母国の味に感動するのでした。
主なお土産はこちらでした。関税ギリ通過、モリモリ梱包で帰国まで安全に輸送できました。
こっちはイェレヴァンのスポーツ大会の銀メダル?と退役軍人のメダル。どちらもソ連時代のもの。
9. まとめ・おわりに
今回はスターリンの故郷ゴリと帰国編でした。
ゴリの街並みはレトロで結構見ごたえありますし、ソ連が好きな変なオタクにもめちゃくちゃおすすめの都市なので是非ご検討ください。
帰国編は無事に帰国できて良かったねということに尽きます。二回目のトランジットで日本語ばっか聞こえて来たあたりでああ帰ってしまうと感傷に浸ってました。
というわけで、長かった旧ソ連旅行記第一弾、これにて一旦終わりです。
旅行記書くのって思ったよりもずっと大変ですね。文章書くの下手なので、尚のこと…。
個人的に期待していたよりもずっと楽しく、そしてずっとカオスな旅で、とても忘れられない経験になりました。帰国時にすぐどっか行きたくなった。
大学で習って会得したへたくそなロシア語がそれなりに活きたのもちょっと嬉しかったです。語学専攻の人には遠く及ばないとは思いますが。(英語が出来るとは言ってない)
次行く予定の国も旧ソ連ですが、なんといっても15か国もあり、国によっては行くのも困難だったりするので気長に構えたいところ(モチベはともかく)。ロシアはともかく、トルクメニスタンとか無理ゲーすぎんだろ・・・。
何より自分が長期で旅行する時間もお金もがあんまりなく、コロナで潰された学生時代と、旅行する時間があんまりない社会人の間に発生した束の間の余裕で訪れただけなので、気長にやっていきたいとはいえ今この瞬間にも再開発でソヴィエト建築は失われてんだよなあという無駄な焦りもあったり。
もう崩壊から30年経過しものによっては老朽化も進行しているはずですし、今各地で急激な再開発が進んでおり、旧構成国の首都は結構な数の遺産が失われているという情報も耳にします。そもそも、時間が経てばその地域の性質もどんどん変わりますし、場所によっては戦争でエラいことになって旅行どころではないパターンもあります。
行けるうちに行けという哲学は出来るだけ大事にしたいところですが、焦ってもどうにもならないなあとも思うわけです。
とかなんとか、帰国後にグルグル考えていました。
近いうちにまた行くと思うので、モチベ次第で記事も書こうと思います。